金属活字時代の女性タイプデザイナー

トピック

Type& 2022 Day 2 Session 2 - 金属活字時代の女性タイプデザイナーは、どのように生き、そしてどのような書体を生み出したのか。彼女たちのデザインについて活字見本とともに紹介。

Type& 2022 Day 2、Session 2は、 Lauren Elle DeGaine (ローレンエリー・ディゲイン)氏によるプレゼンテーションです。DeGaine 氏は大学時代に活版印刷に興味を持ち、金属活字時代に活躍した女性タイプデザイナーについて研究を開始。「A Woman’s Type: Early Women Type Designers in 20th-Century Book History 」という論文にまとめました。このセッションでは、この冊子から3人の女性タイプデザイナーの仕事を紹介。金属活字時代の女性タイプデザイナーは、どのように生き、そしてどのような書体を生み出したのか、活字見本とともに解説します。

写真左側が論文の表紙、ケースを開けて左に小冊子、右には活版印刷した5つの書体見本を収録。デジタル版はネットで無料閲覧可能。

研究の背景

DeGaine 氏が書いた論文「A Woman’s Type: Early Women Type Designers in 20th-Century Book History 」)。この論文では、パソコンの普及前に一般に販売されていた金属活字書体をデザインした女性が紹介されています。書体会社の制作部門の社員などは含まず、書体デザイナーとして名前の記録が残っている女性を対象としています。そのほとんどは生涯で1、2書体しかデザインしませんでしたが、レタリングやカリグラフィを学び、多くの書体デザインを任された人もいたそうです。20世紀初頭は、女性の社会進出とタイポグラフィ分野の両方にとって、特別な時代でした。

Elizabeth Colwell

セッションでは、 DeGaine 氏が論文冊子に掲載した10人のうち、3人の女性について説明しました。

写真中央の活字書体 Colwell Handletter とイタリック体は、 Elizabeth Colwell (エリザベス・コルウェル)がデザインし、American Type Founders が1916年に発表。

Colwell は、1881年、アメリカ、ミシガン州の小さな村の農家生まれ。彼女がレタリングした書体は1900年代初頭から見られます。レタリングとデザインの技術を広告にも生かし、アンティーク商の広告も手がけました。

当時、アーツ&クラフツ運動(イギリスのビクトリア朝時代後半、工業化への反動で生まれた運動)がアメリカで全盛期を迎え、手工業や工芸、美しく仕上げられた装飾的なデザインや作品がこの運動を通して再び注目を浴びていました。刺繍や陶芸など女性に求められていた仕事に注目が集まり、この流れを味方につけて、 世に出たのではないかと DeGaine 氏。

Colwell がデザインした書体 Colwell Handletter。今年の Type& の「&」の文字で使用。手書き感を残し、カリグラフィの影響を強く受けている。

Elizabeth Friedlander

次に、カリグラファー、タイポグラファー、グラフィックデザイナーの Elizabeth Friedlander (エリザベス・フリードランダー)が紹介されました。

Friedlander は、1903年に文化的で裕福なユダヤ系ドイツ人の家庭に生まれ、ベルリン・アカデミーでタイポグラフィとカリグラフィを習得。才能あるアーティストであり、音楽家でもありました。人気女性雑誌『Die Dame』のレイアウトや見出しのデザインを手がけ、1935年までドイツで様々な出版社の書籍デザインをしています。

1935年にはヒトラーとナチスがドイツで実権を握り、グラフィックデザイン協会の通達により、ユダヤ系の Friedlander は母国ドイツで働くことができなくなりました。1936年にはイタリアのミラノへ移り、有名出版社のデザイナーとして勤務。その後、1938年にイタリアの人種法により、アメリカへ移住せざるをえなくなります。当時ドイツからアメリカへの亡命者が多く、受け入れに時間がかかったため、1939年にイギリスに移住し、デザイナーとして再び働き始めました。

Friedlander は、第二次世界大戦後もイギリスに残り、有名なタイポグラファー、 Jan Tschichold (ヤン・チヒョルト)からの誘いを受け、1940年代後半から Penguin Books 向けの作品を手がけました(写真左)。また、1940年代後半から1950年までは製本用の装飾紙を制作(中央)。1952年には Linotype 向けの、1958年には Monotype 向けの飾り罫も制作しました(右)。1960年代前半、アイルランドのキンセールへ移住して工芸家となり、1984年にその地で亡くなりました。

Friedlander がデザインした書体 Elisabeth(金属活字の書体名で後のElizabeth)。1938年にドイツの Bauer 鋳造所が発表。汎用性が高く、読みやすい。イタリックはクラシックながらも優美さがあり、フォーマルな便箋や招待状、タイトル文字などの用途によく合う。

Gudrun Zapf von Hesse

Gudrun Zapf von Hesse (グドルン・ツァップ=フォン・ヘッセ)は、カリグラファーであり、アーティスト、装丁家でもあります(詳細は写真左の書籍『Gudrun Zapf von Hesse: Bindings, Handwritten Books, Type Faces, Examples of Lettering and Drawings』参照)。

1918年にドイツで生まれ、20世紀から21世紀にかけて書体デザインでキャリアを築きました。1934年から1937年にかけて、ワイマールの製本工房の見習いになったのをきっかけに、カリグラフィを学び始める。1940年に製本の修士号を取得し、翌年にはレタリングのプログラムを修了。

1946年にフランクフルトに移住し、Bauer 鋳造所で働いていた頃、鋳造所の敷地内に自身の製本工房を開設。活字の製造技術を学び、Hesse Antiqua の真鍮活字を完成させました(2018年にデジタル化)。

1946年から54年にかけてフランクフルトの美術学校でカリグラフィを教え、1948年の展覧会ではフリードリヒ・ヘルダーリン著の書簡体小説『Hyperion to Diotima』を書いたカリグラフィ作品(写真左側)を展示。当時、Stempel 鋳造所でアートディレクターをしていた Hermann Zapf (のちに彼女の夫となる、20世紀のタイポグラフィ界の巨匠)がその展覧会でこの作品を見て、彼女をStempel 社に招聘し、製本工房を開設。これがタイプデザイナーとしてのキャリアの第一歩になりました(写真手前が Zapf 夫妻、奥は当時の Linotype 社のマーケティング部長。小林章が撮影)。

1991年、Gudrun は Rochester Institute of Technology から Frederick W Goudy 賞を受賞。1972年から2019年12月13日に101歳で亡くなるまで、ドイツのダルムシュタットで暮らしました。

代表作となる書体 Diotima は、1951年にステンペル社から発売。Linotype 社が Diotima のローマン体とイタリック体を発表したほか、2008年に Gudrun と小林が一緒にデザインし、8ウェイトに増やした Diotima の改刻版である Diotima Classic(写真#2)が発売されました。Ariadne Initials(写真#3)は1954年に Stempel 社が発表。カリグラフィの要素を持つスワッシュレターの大文字もあります。1954年に Stempel 社が発表した Smaragd(写真#4)は銅版印刷の文字からインスパイアされた書体です。

20世紀後半に技術が進化する中、 Gudrun は写植書体やデジタル書体を作り続けました。1980年代から90年代にかけてはデジタル書体をデザインしましたが、彼女は「パソコンに支配されたくない」と語っており、手を使って書体をデザインする昔ながらの手法を好んだそうです。パソコンを使えば時間の節約になることはわかっていましたが、「書体作りに大事な人間らしさが失われる」とも考えていたとのこと。書体制作の中心にはカリグラフィがあり、その研究の積み重ねが新しい書体を生み出す基盤になるとグ Gudrun は語っています。

セッションの中で Degaine 氏は3名の女性デザイナーの生涯と書体を紹介。論文はオープンアクセスで以下のウェブサイトから閲覧可能です。

A Woman’s Type: Early Women Type Designers in 20th-Century Book History

Hesse Antiqua を使った活版印刷。 Gudrun とタイポグラファーの Ferdinand Ulrich(フェルディナンド・ウルリヒ)が共同で制作したデジタルフォントを使って、カリフォルニアの活版職人 Matt Kelsey が樹脂凸版で印刷。

Q & A 質疑応答

Elizabeth Colwell が特に他のデザイナーと違う点はありますか?

DeGaine 氏:他の女性は芸術一家、あるいは裕福な家庭出身だったり、家族の中に出版に携わる男性がいたりしますが、 Colwell は違いました。彼女の家族は農家で、 Colwell 人生のほとんどは未亡人となった母と借家住まいで暮らし、労働者階級の出身で経済的に自立していました。これが女性デザイナーと Colwell また、書籍関連の媒体が中心だった他のデザイナーに比べ、 Colwell の作品は美術寄りだったと言えるでしょう。他のデザイナーは装丁やレタリング、製本やカリグラフィが中心でしたが、 Colwell は絵画やエッチング、木版刷りなど美術作品で実績を積みました。

女性、男性それぞれの書体デザイナーが同様のコンセプトで書体をデザインした場合、どのような部分に違いや特徴が出ますか?

DeGaine 氏:書体のデザイン要素にジェンダー的な要素はないと思います。実際は女性がデザインした書体を女性がデザインしたと後から知って、女性的な特徴だと思い込んでしまうのではないでしょうか。(書体が)繊細、かわいらしい、あるいは女性的と決めつけてしまうのです。女性も男性もどんな書体でもデザインできますが、デザイナーについて世間が知ったとき、そういった枠に当てはめがちです。デザインに性別の違いが現れるかどうかは議論の余地があるかもしれません。

女性デザイナーによる金属活字書体のうち、デジタル化され MyFonts から入手可能な書体のリスト(オリジナルデザイナーの情報がある書体のみ)

 

小林章から一言

このセッションでは、20世紀初頭の女性金属活字デザイナーを紹介しましたが、同じ時代に書体デザイナーではない立場でタイポグラフィに関わった女性もいました。20世紀前半から中頃に活躍した Beatrice Warde(ベアトリス・ウォード)です。

彼女は、Monotype のマーケティングマネージャーをつとめ、執筆活動を通して、タイポグラフィの重要性をわかりやすい言葉で説明しました。タイポグラフィをクリスタルグラスに例え、透き通ったグラスの役割が中のワインの色をそのまま見せることであるように、タイポグラフィの役割もその中身、つまり文章の邪魔をしないことであるという内容の文章を残しています。当時の Monotype にとって、タイポグラフィ界にとって大きな牽引力となり、その功績は今も高く評価されています。

Monotype では、ニューヨークの Type Directors Club と連携して、彼女の名前を冠した奨学金制度「Beatrice Warde Scholarship」を設けました。クリエイターを目指している女子学生を対象とした奨学金で、世界中のどこにいてもオンラインで申し込みができます。審査員も女性で、最も優秀とみなされた一人に奨学金5000ドルが贈られます。

DeGaine さんと知り合ったきっかけは、私が撮影した Zapf さんご夫妻の写真を修士論文の締めくくりに使わせてほしいというメールを受け取ったことでした。その写真のつながりで、Type& のセッションをお願いすることになりました。

Type& は Gudrun さんとも関わりが深く、2018年の Type& の会場でグドルンさんの展覧会を開きました。グドルンさんの書体 Diotima の金属活字を使って嘉瑞工房の髙岡昌生さんが活版印刷した用紙に、グドルンさんと交流のあった日本のカリグラファーが書いたカリグラフィ作品を展示するという、夢のようなイベントでした。 Gudrun さんは2019年に101歳でお亡くなりになったのですが、日本の私たちにも大きな遺産を残してくれました。